『夜中の3時に冷蔵庫をただ漁る人のための建築理論』
建築にまつわる言葉に、僕は興味がある。
建築物を表現するための言葉と、建築物を設計するための言葉。前者は批評、後者は設計理論と呼ばれる。建築に理論がなくなったと言われて久しいが、僕は依然としてその二つに興味がある。この短い論考では理論についてのふたつの設問、
a.理論とは何のために存在しているのか
b.そもそも理論とは何か
を明らかにしていきたい。
a.理論とは何のために存在しているのか
“夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、それだけの文章しか書くことができない。そして、それが僕だ。”
村上春樹『風の歌を聴け』
世の中にはふた通りの人間がいる。夜中の3時に冷蔵庫を漁る際、〈1.ただ漁るだけの人間〉と、〈2.漁る最中にアイディアを思いつく人間〉だ。
2.は天才と呼ばれ、理論を用いなくとも、美しい建築物を設計し、鋭利な批評を書くことができる。なぜなら冷蔵庫を漁る最中にさえ、アイディアを思いつくのだから。
1.は理論を用いない限り、〈それだけの建築物〉しか設計しかできないし、〈それだけの文章〉しか書くことしかできない。そして、それが僕だ。裏を返すと、僕は理論さえあれば〈それなりの建築物〉を設計し、〈それなりの文章〉を書くことができる。これが理論の存在理由である。
b.理論とは何か
結論から言おう。理論は踏み台だ。
理論は、〈理論ではたどり着けない場所にたどり着く〉ためにある。そもそも言語表現は、〈言語表現ではたどりつけない場所=ある事象に対し徹底的に言葉をあてがった結果残る、言葉にすることができない場所にたどり着く〉ためにある。その場所を、僕たちは沈黙と呼ぶ。建築物は、言葉では表現できない場所をはらむ以上、いつだって沈黙の世界を持っている。そう、理論とは僕たちを沈黙の世界へと誘い、建築を設計するための踏み台である。
言葉を尽くした先にある美しい建築。そこにたどり着くためには言葉を尽くさなければならない。語りえぬものについては、沈黙せねばならないとは、語り得ぬものについて語り尽くした者にのみ与えられた、義務である。
夜中の3時に冷蔵庫を「ただ」漁るような人間には、義務が課せられる。それが僕である以上、僕には理論が必要だ。
初出:建築雑誌 2019-5