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『『直方体の森』に寄せる活字たち』

 レールに挟まった、甲虫の死骸、二匹。ガラスに幾度となくぶつかる足長蜂。くるくると落ちる葉。リズムよく鳴く小さな鳥。外は、細かくうるさい。

 

 無数の画鋲の跡が残る壁紙。不躾なアルミサッシ。ブラインドボックス。ドアの枠。幅木。あの空間の、硬質な幾何学による純粋な形式性と比較すると、内部に用いられた部材はそのどれもが不釣り合いで、不似合いだ。全体と細部が一致していないため、レンズと物の距離を少しでも間違えれば、直方体の森は撮ることができない。でも、思い切って写真にすることを諦めると、物と空間の距離はたちどころに最適化する。

 細かくうるさい外部に比べて、直方体の森が幾何学的に囲いとったあの空間は驚くほどに静かだ。蜂はガラスを打たない。葉が落下することはないし、鳥が鳴くこともない。


 「静かだ」という言葉は音に対して用いられる形容動詞だとすれば、この内部空間の静けさは、「静かだ」という形容動詞に別の対象があることを伝えている。僕たちは空間に対して、静かだと言う。音が存在していてもしていなくても、僕たちは空間に対して静かだと言うことができる。何が、静かなのだろう。

 例えば、左右対称。確かに直方体の森は左右対称だ。左右対称に努めている。それでも、左右対称に設けた窓の先の外部がどうしようもなくアシンメトリーであるために、空間全体が崩れている。それも一気に。例えば、大分アートプラザや北九州市立美術館のシンメトリーは崩れることがない。もちろん建築物が実用に即さねばならない以上、どこかで崩れることは免れないが、僕たちはあれをシンメトリーだと認めている。直方体の森の内部空間はシンメトリーであることを意識する前に、シンメトリーが崩れていることを認識する。シンメトリーである前に、最初から崩れている。図面がそのままこの世界に建ち上がった瞬間から、図面の持つシンメトリーは崩されている。それも、一気に。


 大分アートプラザの内部空間は、外部につながることがない。シンメトリーが崩れず、だからこそ僕たちの意識は素材や構成・掛けられた絵・塗り籠められた色……それぞれがもつ意味に集中する。意味を読み取る過程に伴って、内部空間は徐々に静けさを失っていく。
でも、直方体の森は違う。内部空間の持つシンメトリーが外部によって崩されていることに意識が向かう。幅木や枠、壁紙の穴に僕たちの意識が向かうことはない。意識は外がどうしようもなくアシンメトリーでうるさく、中が完璧なまでにシンメトリーでとても静かであることに集中する。だから直方体の森は静かだ。内部と外部の自明なまでの関係性をありありと目の前にした僕たちは、物から意味を読み取るという小賢しい作業に没頭できなくなる。物の意味が宙に浮き、最後まで台の上に乗ってくることはない。

 外がアシンメトリーで、内部のシンメトリーを崩すという事実に気づいてなければあんなアプローチをとることはできないだろう。入り口はシンメトリーな平面構成の最もシンメトリーな部分に設けられている。あの敷地条件なら道路から入り口に至る導線をシンメトリーで構成することは簡単だ。平安時代の寺院や、ゴシック様式の教会のように。でも、直方体の森は違う。アプローチはアシンメトリーであり、僕たちはまず、シンメトリーな直方体の側面に出会う。


 外が中のシンメトリーを崩す、なんてことはわかりきっている。でも、その事実をくそまじめにいつも考えているような、そんなまじめなやつは存在しない。僕たちは唯一、直方体の森の中にいるときだけ、そんなことをまじめに考えている。直方体の森は、建築が建築物となり、この世界の中で物となっていく、つまり「建つ」ということについて、僕たちが考えることを強要する。建つことは建築が物によって建築物になり、この世界の一部となることだ。世界はうるさく、建築は静かだ。
 

 純粋な建築は存在するが、純粋な建築物は存在しない。(もちろん不純な建築物は存在する。)直方体の森は純情なまでに純粋な建築であり、純粋なまでに純情であろうと努めた建築物だ。だから人は、あの建築を純粋な形式による建築と形容する。

 『直方体の森』以前。例えばバルセロナパビリオンを計画していたミースは、外が中を崩すことを知っていた。だから平面をシンメトリーとしなかった。カーンはランドスケープまでもシンメトリーとすることで形式としての建築を保存しようと努めた。


 『直方体の森』以降。ズントーは聖ベネディクト教会で直方体の森の形式を用いている。あの教会の銀色の内壁は、周囲の植物の色を拾い、光を伴ってほのかに緑に染まる。光も外も、アシンメトリーであることに気づいているからこそ、壁を銀色に染めた。入り口を振っていることも、直方体の森と同じ形式である。クリスチャン・ケレツのあの小さな教会はどうだろう。オーバーレアルタの礼拝堂の外壁は荒く、内壁は滑らかだ。光の当たらない壁面には苔が生し、光を受ける壁面はそれがない。オルジアティは…?

 

 とにかく。

外はうるさい。それも、細かく。

中は静かだ。驚くほどに。

→ESSEY

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